日本のデザインの原像

世界のデザインシーンをリードする原研哉氏の講演を聞きに行きました。


近年の主流であるプロダクトやインテリアの無駄の省かれたミニマムなデザイン群。
西洋発のsimpleと日本古来のもの(原氏はemptinessと呼ぶ)とは一見似ているが異なるモノであるという。

端的に言えば、西洋のsimpleはまだ新しいデザインの概念で、歴史は浅く150年前位からだという。
それ以前は宮殿建築・インテリアなどに代表される、豪華絢爛デコラティブで複雑なものがデザインであった。
それはいわゆる権力の象徴。
時代は、民主主義に成り代わり、複雑さは意味を成さなくなる。
そして、デザインは人の求める普遍性に自由になり、
人・モノ・素材などの関係性に
効率や機能美を見出していく。
そこに「simple」なデザインが生まれた。


対して日本という国は、その島国という環境から、
海を通じて世界各国の文化の受け皿という性質を持つ。
しかしながら、恵まれた自然の中で生活し、
神社建築に代表されるような、

「何もない空間(emptiness)」に

「神と接触の持てる可能性」

を見出していく思想を古くから持っていた。
これは世界でも珍しい思想らしい。

その地理的背景から、世界各国の装飾された豪華絢爛な文化を絶えず受け入れていた日本は15世紀の応仁の乱という大きな混乱により、東山文化また、茶の湯に代表される、
「簡素なものの中に人の心を映し、研ぎ澄まされた感覚でそこに無限の世界を見出していく」
という世界観に到達し、完成させていく。
その世界観を完成した形にしたのが千利休の「侘び寂び」の茶道という文化だ。
(茶会などで、茶器を拝見する事があるが、「ナツメの中のお茶を茶杓ですくった後の景色を見る」のだ、という例え話が茶道の繊細な世界観をよく表現していて面白いと思いました)
それが、日本の簡素な美の価値観である。

ということで西洋文化のsimpleと日本文化のemptinessは根本的に違う。
そして日本文化の簡素の美というのは大変高度なものである、という。

この思想は誇れるものだ。
日本人として世界の文化に寄与しなければならない。
それは、ただいわゆる日本風の、和風の、アイコン、例えばそれとすぐわかるようなデザインやプロトタイプ、ではなく、その感性や文脈が語れるデザインをしていこう!

というのが原氏の思想でした。

著書とまた違い、直接語られる内容にはかなり感銘を受けました。

講演直後は興奮して「すごい!」を連発・・・。

日本人として、日本に生まれた事をとても誇りに思うと同時に自分の国に対してあまりにも無知な自分を知り、これからもっと知りたい、と思った講演でした。